東京スローリー

連載企画

町火消笑顔を護る人たち ― 江戸町火消二番組内千組組頭 山口新次郎さん

「江戸の町は江戸の庶民の手で護らせる」という、所謂自衛自治の考えに根差して町火消が創設されたのは1718年。以来305年の歴史を継承し続けている。歴史を見ても江戸の町を焼く大火の記録は傷ましく、お城やお屋敷、徳川関連施設などを防護する定火消・大名火消だけでは、人口が増え続ける町人の住む下町までを守備する事は不可能で、町場を護る町火消集団を生み出すことになった。これが江戸の「いろは四十八組」となった。それぞれが担当地域を持ち地域の守護者的な存在となって、今で言う建築関係の仕事を本業に、一旦大事があれば町火消として猛煙猛火と闘った。写真は、江戸町火消二番組内千組組頭山口新次郎さん。江戸時代から連綿と受け継がれる文化を継承する町鳶三代目の生粋の江戸っ子。現在も火消の伝統を江戸消防記念会理事として伝承を続けている。

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火消気質は
「義理と人情とやせ我慢」
遺伝子に宿る記憶を継承する男達

四年振りに神田祭が帰ってきた。総形半纏を着込んで、これから始まる江戸三大祭りに臨む老若の町火消し。皆さんが着用するこの半纏は、江戸火消し時代から伝わるもので、いろは四十八組と本所深川十六組併せて六十四組が、それぞれ独自の図柄を考案して半纏に染め付けたもの。この柄で着用者の所属が一目で判るようになっている。町火消固有の工夫であり、かつ自身の所属する組へのプライドや、ひいては地元自慢を表現しながら着込んでいた訳です。さらに、明治の時代に入り、町火消は市部消防組と名称を改め警視庁所属となりました。その機会に役半纏が考案されて、腰の白線の本数で担当地区を、背中に組名、襟に役職名を、肩の赤線で指導者階級が判るようになり表示されました。この辺りは、火事場の緊急性や統率力の重要性を考えると、経験が生んだ合理的工夫の産物だと感じられます。制服というべき二種類の半纏を重ね着していれば、火消し一人一人が、その柄と表示で個人名まできっちり判るという昔の人の知恵が理解できる次第です。

神田祭
令和5年5月13日から4年振りに開催された神田祭。当日の早朝、神田神社の境内にずらりと勢揃い頂いた集団は、江戸消防記念会第一区の皆様。着用している半纏が、明治以降の警視庁所属支部消防組の制服ともいえる役半纏を着用している方と江戸火消時代からの各組自慢の図柄の総形半纏を着用している方が見分けられる。

この写真を見て親近感、そしてカッコ良さを感じる方も少なくないと思います。江戸時代明治時代には、町火消しの錦絵の人気も高く、子供向けの歌留多など人気を博していたようです。この辺りが無意識のうちに「粋」や「華」を感じているという事なのでしょう。日本に伝承されるしきたりを大切に守り、それを教えてくれた目上を敬い、先祖を崇拝するという、江戸消防記念会が信条とする気質がこのずらりと並んだ半纏姿の集合写真に写る皆さんの姿表情から伺う事が出来ます。
現在の江戸消防記念会の行動目的は、江戸消防の史跡調査と保存に関する研究を行い、史実文化の向上発展に寄与する事を本旨として、この事業を通じて消防行政を側面から支援する事です。毎年正月6日の東京消防出初式での、江戸鳶木遣・纏振込み・梯子乗りの技術披露や歳末の正月お飾りの支度など町内で見かけるの半纏姿に親しみを込めて声をかけてみたいものです。

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